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袁術の下を離れた後、孫策は江東一帯にてその才を遺憾なく発揮した。
當利口にその人ありと謳われた劉繇の大将・張英もその戟の前に敗れ、
小覇王の名は江東を震撼させた。
その後、劉繇はサク融、薛礼ら同士の軍と共に孫策を包囲した。
これに対し、孫策は速戦速決すべく策を用いた。
凌操の墓を打ち壊し、この罪を劉繇に着せたのだ。
彼の目論見どおり軍の士気は沸き立ち、一気呵成に劉繇らの軍を打ち破った。
この他には、劉繇に軽んじられてきた将・太史慈が孫策との一戦の後、
孫策の用人の道に深く感じ入っていた。
同じように、才を愛する孫策にも太史慈を麾下に収めたいという思いが生じていた。
最終的には、竿を立てれば影ができるように、孫策の説得は太史慈を心服させた。
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