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司馬徽 字 徳操 |
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潁川の人、道号は水鏡先生。
水鏡集団の創始者で、門下の弟子は全員が一人で万事をこなす名軍師である。
弟子と共に反董卓軍のために謎を解いた。 |
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八奇 |
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水鏡集団とは軍師を育成するための学舎であり、門下生の中でも最も有名なのが
水鏡八奇と呼ばれる者たちである。
水鏡八奇は世に出る前は顔を隠さねばならないため、彼らの素性は謎に包まれている。
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水鏡一奇 袁方 |
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袁紹の庶子。袁紹はまだ幼い彼を水鏡先生のもとに送り、門下生にした。
「水鏡八奇」一番弟子で、計謀と用兵に秀でた野心家。
袁紹が公孫瓉を滅ぼし北方を平定したのも、全て彼の功績である。
袁紹の全てを手にするため、まず手始めに三人の兄のものを奪おうとしている。
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水鏡二奇 荀ケ |
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潁川郡潁陰県の人。
水鏡八奇の内の二奇(二番弟子)、先見の明がある。
漢室に忠誠を尽くす曹操陣営の謀臣。
賈詡と郭嘉の「黒暗大義」を良しとしない。
袁紹の行動に不満を感じ、曹操につくことを決めた。
曹操のために一計を案じ、三十万の黄巾兵を収めた。
曹操が皇帝を擁するべく長安に向かった際には随行し、董卓の残党も傘下に収めた。
尚書令に任じられた後は外交を一手に引き受け、曹操の説客として自ら各地に赴く。
袁紹の下を訪れた際、張遼に拉致されるも陳宮の計により開放される。
下邳の戦いでは"曹操と"袁術の間に不可侵同盟を締結した。
袁紹との緒戦で師兄の袁方と対戦、矢傷を受ける。
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水鏡三奇 賈詡 |
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武威郡姑臧県の人、李儒の義弟。
水鏡八奇の内の三奇(三番弟子)で、郭嘉と同じく「黒暗兵法」の使い手。
董卓の仇を報ずるため、長安と涼州で呂布を打ち敗った。
牛輔の死後は張済の下に身を寄せ、その死後は張繍に仕え首席軍師となる。
しかし彼に失望し郭嘉と内通、主に対し曹操への帰順を勧めた。
曹操の幕下に加わった後、蕭関にて司馬家を餌に許褚を煽ることで、司馬懿が
呂布の下へ向かう口実を作った。
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水鏡四奇 郭嘉 |
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潁川郡陽翟の人。水鏡八奇の内の四奇(四番弟子)。
その策には遺漏が無く、「決策之王」の美称を持つ。
しかし惜しいかな、彼は生まれつき不治の病を患っている。
賈詡と共に「黒暗大義」の実現を目指しており、彼の推薦で曹操軍に加入した後、
驚異的な「黒暗兵法」を用いて徐州を攻略した。
思想の異なる荀ケとは対立することもあるが、曹操のため力を合わせることになる。
賈詡を招聘した後、彼は主に奇兵部門を統括。
下邳の戦いでは陥穽を掘る事で高順の騎兵を封じ、更にそこに決壊した泗水の
流れを呼び込むことで下邳を水没させた。
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水鏡五奇 周瑜 |
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廬江郡舒の人。水鏡五奇にして、孫策の義弟。
孫策が袁術の下を離れる助けとなり、また劉繇を滅ぼし江東を平定した功臣。 |
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水鏡六奇 龐統 |
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水鏡先生の六番弟子。襄陽郡の人。
平陽の軍営にて謎を解いた後、水鏡先生より二傑の内「鳳雛」の称号を授かる。
八奇の中でも称号を得たのは、彼と七奇だけである。
彼は漢室再興を目指しており、曹操がその障害になると見ている。
そのため彼を亡き者にすべく「連環の計」をしかけ、あと一歩のところまで追い詰めた。
順風満帆かに見えたが、主である劉寵が残兵に暗殺されてしまう。
主を失った龐統は劉備と邂逅し、彼に先んじて荊州へと向かった。
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水鏡七奇 臥龍 |
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水鏡先生の七番弟子。
水鏡先生に最も有望な弟子と認められ、「臥龍」の称号を授かる。
水鏡先生をして「神」と呼ばしめるほどの才能を持つ。
司馬懿と共に「城下一聚」の謎を解き、また、彼とは協力して郭嘉を敗ったこともあるが、
己が利益のためにしか力を行使しない彼を快く思っていない。
五奇・周瑜に対しても同様の思いを抱いている。
隆中にて劉備の到来を待っていたが、于吉の出現を聞き水鏡府に舞い戻った。
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水鏡八奇 |
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水鏡先生の八番目の弟子。
平陽の軍営で謎を解いた者の内の一人。 |
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