曹操  曹操  字 孟徳
豫州沛国譙県の人。
父・曹嵩の本姓は夏侯氏であったが、宦官・曹騰の養子となり曹姓に改める。
曹騰の力で、曹嵩は高位の官に就いた。
曹操は幼少の頃から権謀に富み、若くして司馬防に推挙され洛陽の北部尉に任じられる。
反董卓同盟結成時、曹操は驍騎都尉だった。
袁紹や他の諸侯が兵を動かさない中、彼と孫堅だけは出兵したが、惜しくも敗れた。
あえて出兵したその勇気と統率力が評価され、各地の豪傑たちは次々と旗下に投じた。
一人で百人に値する武将は数多い。
また、各地の智謀の士も集まり、その中には八奇の荀ケ、郭嘉の二人も含まれている。
二奇を得た後の曹操は順風満帆となり勢力の拡大を続け、天子を擁立するに至る。

司空に封じられ、宛城へ張繍討伐に赴いたが惨敗し撤退した。
しかしその張繍も後に帰順。
後顧の憂いが無くなった曹操は徐州の呂布を攻め、これを降した。
その勢力は更に増し、今まさに袁術を討ち袁紹と対峙せんとしている。

夏侯惇  夏侯惇  字 元譲
曹操の従弟で、彼が最も信頼する大将の一人。
曹操の出陣には常に付き従い、先陣に立って数々の戦功を挙げる。
その左眼は生まれついての千里眼だったが、呂布の部将・曹性との戦いで失う。
そのため夏侯淵と区別するために"盲夏侯"と呼ばれることも。

呂布との戦いでは幾度も敵将と死闘を繰り広げ、最後には縄目に会った呂布の首を討った。

夏侯淵  夏侯淵  字 妙才
夏侯惇の従弟で、勇猛な大将の一人。
夏侯惇と共に軍の主柱として名を馳せる。

曹洪  曹洪  字 子廉
曹操の従弟。勇猛で忠誠心が厚い。
常に曹操軍の先鋒となり、徐州攻めの際には霊関を攻めた。
濮陽の戦いでは士卒の先頭に立ち無数の敵を討ち、軍中における模範となった。
下邳の戦いでは兵を率いて白門楼を攻めた。

曹仁  曹仁  字 子孝
曹操の従弟。騎射が得意である。
常に軍の先鋒となり、曹操の下での戦功は少なくない。
後方を守ることで軍心を鎮めることが主な任務。

曹純  曹純  字 子和
曹仁の弟で、虎豹騎の隊長を務める。
下邳の戦いでは高順、臧覇に勝利し、その武勇を見せ付ける。

 曹昂  字 子脩
曹操の長子、曹操は彼を跡継ぎに考えていた。
曹操の張繍討伐に付き従うも、帰順した張繍が突如起こした反乱に巻き込まれる。
速やかに兵をまとめ父の救出に参じたが、狙撃され命を落とした。




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