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董卓 字 仲穎 |
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隴西郡臨洮県の人。
西涼の太守だったが大将軍・何進の要請に応じ、洛陽に兵を進めた。
そしてこれを勢力を築く機会だと見て、混乱に乗じて瞬く間に太師の位まで登りつめた。
彼は孟子の説を曲解し、敵対者を全て排除し、洛陽を西涼人の新世界にしようとした。
配下には許臨・李儒・呂布・華雄など、文武の将が数多い。
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許臨 字 子然 |
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智冠天下と称される董卓軍第一の智謀の士。西涼一の名士でもある。
兗州を通行中に、残兵によって暗殺された。 |
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呂布 字 奉先 |
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五原の人。
本は丁原の義子だったが、その武勇を認められ董卓の義子となる。
董卓は彼の力を利用して天下を取ろうとしたが、最終的には彼の手にかかって
命を奪われることになった。 |
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華雄 |
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董卓軍の大将。
虎牢関において、反董卓軍の猛将を一騎打ちで13人破った。
呂布に仮想敵と見なされており、最期は彼の計によって消された。 |
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李儒 |
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董卓の女婿。
智謀は許臨に劣らないと自負しており、董卓は彼を後継者と考えていた。
呂布の長安奪取を阻止しようとしたが、失敗し戦死した。 |
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牛輔 |
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董卓の女婿。
董卓の死後、李儒の配下だった者たちと共に兵を率いて長安を包囲した。
軍師・賈詡の計略を採用し、呂布を敗北させた。 |
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賈詡 字 文和 |
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武威郡姑臧県の人、李儒の義弟。
水鏡八奇の内の三奇(三番弟子)で、郭嘉と同じく「黒暗兵法」の使い手。
董卓の仇を報ずるため、長安と涼州で呂布を打ち敗った。
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胡赤児 |
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牛輔の近侍。
中郎将の地位と引き換えに、主を呂布に売った。
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董璜 |
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董卓の甥だが、董卓は自身の息子以上に彼を寵愛しており、
周囲からは董卓の後継者と目されていた。しかし呂布に暗殺された。 |
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李粛 |
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呂布と同郷の出身。董卓の腹心だが、呂布に内応していた。
董卓の死後、呂布の兵を麾下に編入したが賈詡の戦術の前に敗れたため、
その責を問われ呂布に斬首された。 |
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董越 |
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董卓の腹心。
董卓が上洛した後は、涼州に残って統治していた。
主の恩に報いるため、賈詡の計略に手を貸し呂布を敗北させた。 |
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