袁紹  袁紹  字 本初
汝南郡汝陽県の人。司徒・袁逢の子で、太傳・袁隗は叔父にあたる。
袁家は四代にわたって漢の三公を輩出し、朝廷での権力は一二を争うほど。
袁紹には長男・袁譚、次男・袁煕、三男・袁尚の三人の息子がいるが、
さらにもう一人、表向きは甥としている庶子の袁方がいる。
董卓が都を乱し始めたとき、袁紹は真っ先に董卓と対立し、渤海へ戻り兵を集めた。
そして間もなく皇帝の詔書が届き、反董卓連合軍の盟主となった。

関東軍が瓦解した後、策を以って韓馥の冀州を奪取。
これを機に公孫瓉と不仲になる。
公孫瓉を降し後顧の憂いが無くなった今、南進を始め曹操と開戦した。

袁方  袁方
袁紹の庶子。袁紹はまだ幼い彼を水鏡先生のもとに送り、門下生にした。
「水鏡八奇」一番弟子で、計謀と用兵に秀でた野心家。

袁紹が公孫瓉を滅ぼし北方を平定したのも、全て彼の功績である。
袁紹の全てを手にするため、まず手始めに三人の兄のものを奪おうとしている。

 袁譚  字 顕思
袁紹の長男。
軍を率い南下、青州の田楷・孔融を敗る。

曹操に対抗すべく袁術との合流を画策、下邳へ向かうが趙雲と張遼に道を阻まれる。
結果、たった二人の相手に数万の軍を潰走させられるという大失態を犯す。
このことで袁紹の後継者候補の地位を失うことになった。

 袁尚  字 顕甫
袁紹の三男、字は顕甫。洛陽が焼かれたとき、袁紹と共に洛陽へ進軍したが、
偽の呂布の一人だった張遼に敗れた。




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