|
|
袁術 字 公路 |
|
表面上は誠意をもって人に接しているが、その実態は大口叩きのほら吹き。
奸計を以て孫策の持つ玉璽を奪った後、寿春に宮殿を築き皇帝を称した。
呂布の治める徐州に親征するが大敗し、多くの将士と城を失った。
その後、大軍を率いて劉備の漢軍に当たるが敗北。
更には民衆や部下が造反、袁紹も援軍を退いたため孤立無援となる。
心労から病に伏し、血を吐いて死んだ。
|
|
紀霊 |
|
袁術麾下の大将で、劉勲とその寵を争う。
堂々とした体躯の大斧の使い手だが、決して武一辺倒というわけではない。
劉備の率いる漢軍と対峙、張飛と一騎打ちするも敗死。
|
|
無名軍師 |
|
袁術の側近の軍師で、孫策から玉璽を奪う算段を立てた。
しかし司馬家を敵に回したがために、命を落とすことになる。
|
|
橋甤 |
|
袁術麾下の大将の一人。人物評論家を自認している。
紀霊、閻象、廖蘭らの同士。 |
|
廖蘭 |
|
袁術軍の将校。黄蓋らと共に、洛陽に捕らわれた人質を救出した。
後に皖城が孫策のものになった際に捕虜となる。 |
|
劉勲 字 子台 |
|
廬江太守。紀霊と同じく袁術軍の大将。
しかし紀霊は彼をただの凡夫としか見ていない。
周瑜の策に利用されその結果、袁術も看過できない勢力を築くことになるが、
後に袁術が危機に陥った際には兵を率いて駆けつけた。 |
|
劉曄 字 子揚 |
|
淮南の人。光武帝の息子、阜陵王・劉延の子孫。
幼い頃から優れた才能の持ち主だった。劉勲の友人。
東安の守りを任されていたが、皇帝を僭称する袁術に反感を抱き
ここを孫策に明け渡した。 |
|