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第四十四回 兵法之詭道 |
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劉備、関羽、張飛、袁紹、袁方、文醜、袁尚、袁遺、
公孫瓉、王匡、韓馥、孔伷、潘鳳、呂布、華雄 |
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兵とは詭道なり。(孫子兵法 計篇)
遠くへ行くなら近くへ行くふりをし、近くへ行くなら遠くへ行くふりをする。
戦上手は下手なふりをし、攻めるべきときは攻める気が無いふりをする。
真を偽となし、偽を真となす。
諸侯たちは軍を率いて虎牢関に集い、開戦のときを待っていた。
ここ虎牢関は四方を山に囲まれ、守るに易く攻めるに難い。
董卓軍の狙いはこの地を堅く守り、関東軍の兵糧を消耗させ、自壊させることだった。
関東軍はたとえ今から撤退しても、し終えるまでに兵糧が尽きてしまうため、
決戦を余儀なくされた。
戦に参加する、各諸侯の部将たちの名が読み上げられていた。
名のある武人が数多く集まっている中、場違いとも思える下級兵の名が呼ばれた。
「馬弓手劉備」
その場にいた者、皆が彼とその仲間を嘲り笑った。
しかし劉備は気にも留めず、部将たちの待機場所へ向かった。
そこでも彼らに対する扱いは酷いものだった。
散々罵倒されて逆上した張飛が、部将の一人潘鳳と一触即発となったそのとき、
劉備が土下座し、張飛の代わりに罰を受けると言った。
黙って打たれる劉備。
関羽と張飛は怒りを堪えつつも、黙って見ていることしかできなかった。
「戦上手は下手なふりをし、攻めるべきときは攻める気が無いふりをする。
孫子はこれを用兵に用いたが、俺はこれを人となりに用いている。
もしここで詭道をなさねば・・・ 俺たちはただの賊のまま、いつまでたっても成り上がれんぞ!」
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邦訳版を読んで氷解した疑問が一つあります。
関東軍が酸棗から撤退して虎牢関前に陣取った件です。
撤退するのであれば、普通は敵地から離れた方角に逃げるはず。
何故よりによって「酸棗より西の」虎牢関へ向かったのか?
答えは一つ、虎牢関、もしくは酸棗の位置が変えられていたからだったんですね。
思えば初期の話ではシナリオの都合上、他にも位置関係が変えられている場所があります。
一つは河内郡が兗州にある点。
もう一つが河内から長安に出発した小孟が、なぜか界橋にいた点。
特に後者はいくらなんでも無理がありすぎます。
紫王は小孟をどんだけ長い間連れまわしたんだと。
いくら凝った話を作るにしても歴史ものである以上、こういう事はもう止めて欲しいですね。
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