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初平元年(190年)、董卓は洛陽を焼き払い、長安へ遷都した。
諸侯の中でただ一人、燃える洛陽を見て涙を流す男がいた。
破虜将軍の孫堅である。
彼は突然、着けていた外套を脱ぎ、それで火を払い始めた。
兵士たちはその姿に心を打たれ、我先に消火活動に加わった。
そして、孫堅軍は三日三晩かけて、洛陽の鎮火に成功した。
しかし、彼らには息つく暇も無かった。
袁術から、洛陽は自分たちに任せて、すぐに董卓を追撃するよう命令が下されたのだ。
時を同じくして、焼死した袁術軍の将たちが発見された。
おかしいのは、袁術軍の彼らがこの場にいて、しかも皇室の近衛軍の装束を着けていたことだ。
その中の一人が、かすかに息をしていた。
彼は自軍に助けられたものと勘違いしていた。
「と・・・殿ですか?あと少しで任務を完了できたのに・・・。
城の南・・・そこの甄官井の中に・・・。
あと少し・・・あと少しで・・・帝を称する殿を見れたのに・・・・・・」
そこまで言うと、彼は息絶えた。
井戸の中には、伝国の玉璽が隠されていた。
孫堅の将たちは言った。
皇帝が董卓の手の内に有る今、真の忠臣こそがこれを守護するべきだと。
そして孫堅こそが、その大任を負うに相応しいのだと。
「お前ら・・・巻き添えを喰うのは怖くないのか?」
「殿!孫家の者には、巻き添えを恐れるような者はおりませんぞ!」
「そうです!それに殿は孫子の末裔、何を恐れることがありましょう!」
「玉璽を隠し持つことが大罪だと分かってるんだろうな!」
その日、孫堅は国家の為に決断を下した。
しかし彼は秘密が漏れようとは、夢にも思っていなかった。
関東軍が董卓討伐に失敗した後、人々は孫堅の犯した罪をなじったが、孫堅は白を切り通した。
孫堅は袁家の命令には、玉璽に関するもの以外は従った。
初平三年(192年)、袁術は孫堅に荊州の劉表を討つよう命じた。
孫堅は荊州で劉表の部将・黄祖と会戦した。
孫堅は襄陽を囲み、黄祖は追い詰められ峴山に逃げ込んだ。
戦いの最後、孫堅は笑っていた。
とはいえ、それは苦笑だったのだが。
漢室の行く末を想っての苦笑だった。
その日、漢朝にとって最後の忠臣の一人が露と消えた。享年三十七。
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