火鳳燎原』第二十巻

 各話の副題
 主な登場人物

  ここには各話のあらすじを載せます。

  登場人物の台詞は緑色、
  解釈が怪しげな部分は赤くなっています。


  ここには、補足的な解説や私見を載せます。


第一五十九回 智謀有道
司馬徽(水鏡先生)、六奇(鳳雛)、七奇(臥龍)、張昭、董象、陳南

 漢室は権勢を失い、群雄たちの台頭を許した。
諸侯たちだけでなく数百にのぼる小城の城主たちも、己が利益のための戦を行っていた。

 水鏡先生こと司馬徽の学舎・水鏡府には、司馬徽や彼の弟子に教えを請うべく
大勢の者たちが全国から集っていた。
そこへ早馬の戦況報告が届いた。
水鏡府を訪れた者たちは、聞き覚えの無い名前の軍に首をかしげた。

 実はこの戦は模擬戦のようなもので、司馬徽と七奇がこの戦の趨勢を予測し合っていた。
斥候の情報をもとに、七奇が次の一手を予想した。
しかしこれがとんだ的外れな内容だったため、司馬徽は彼が疲れているのではないかと訝る。
休憩を請い、散歩に出る七奇。
彼は先日、叔父を亡くしていた。

「いわゆる計略とは、つまるところただ一点に収束する」
 ここ三日間連続で、六奇が教壇に立っていた。
しかし彼はただ一つの事、それも誰もが知っているような事しか教えないため、
聴衆からは不満の声が上がっていた。
しかし六奇はその訴えを一蹴した。
「だめだ。あんたらが理解するまで、俺はこれしか教えん。
 計略とは、相手に己の次の一手を読ませるところから始まる。
 然る後に、それ以後の相手の動きを一手づつ予測する。
 それができれば、次は相手に己の二手目を読ませる。
 更に相手に己の三手目を読ませることができれば、なお良い」

 この茶番のような講義に我慢できず、六奇に罵声を浴びせる者が現れるが
六奇はまったく意に介さず講義を続けた。

 六奇の講義は、七奇が訪れたときには既に散会していた。
六奇は自分は要点を教えているだけだと悪びれずに言った。
「兵法を志す者に、真理を解する者がどれだけいるというのか?」
 七奇が続けて言う。
「いたずらに戦を起こす者に、民の苦を心から解する者がどれだけいるというのか?」
「「民のためとは建前に過ぎず、己がためこそ真実」」

 新たな王朝の建立など民を戦場に駆り立てるだけと言う七奇に対し、
彼が漢室復興の想いを抱いていたことに驚く六奇。
しかし七奇はこう返した。
「私はただ後の世の模範となり、革命を理由にした殺生を無くしたいだけです。」
「お前は…君主が紂王だとしても補佐すべきだと言うのか?」
「人の初め、性もと善なり。
 紂王の悪行、この過ちは育成した群臣が無道だったことによります。
 成功する者の内、有道を解する者がどれだけいるでしょう?」
主についてはそれでもいいだろう。だが"孝"も重要だ。
 叔父上のため、なぜ帰郷し喪に服さない?
 講義なら俺が喜んで代わるぞ」
「それには及びません」
「じゃあ聞くが、お前なら彼らに何を教える?」
「三日続けて、忠臣の何たるかを説きます。
 国家にその身を捧げ、命の限り尽くしなさい、と」


 その後、司馬徽のもとに斥候から戦況が報告された。
司馬徽の予想に反し、七奇の予測は見事当たっていた。
これで十六戦連続の正解、そしてそれは新記録だった。
「生涯を後進の育成に充ててきたが…ついに"神"をこの目にしたわ!」


 長くなってすいません。
臥龍と鳳雛という二人の重要人物の性格を知る上で、かなり重要な回なので
ほとんど要約できませんでした。
原典における記述・描写とこの回の二人の台詞を見比べてみると、火鳳の二人が
なぜこのような造形になったのか色々と妄想が膨らみます。
正史と演義、両方お持ちの方は是非火鳳と並べて比較してみてください。

 あと、臥龍が丁寧語なのは私の主観です。
邦訳だとタメ口になってる可能性大。





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