火鳳燎原』第三十九巻

 各話の副題
 主な登場人物

   ここには各話の全訳を載せます。
  可能な限り原文に忠実に訳しますが、直訳だと不自然な箇所やわかりづらい箇所、
  言い回しがくどい箇所は意訳します。
   人物間の呼称は、基本的に原文のものをそのまま用います。
  しかし同僚同士で呼び合う場合に"〜殿"、主に対して"〜様"など、翻訳者の裁量で手を加えます。

   翻訳の間違いに気づかれた方は是非ともご一報ください。

  ここには、補足的な解説や私見を載せます。

[ 310 / 311 / 312 / 313 / 314 / 315 / 316 ]

第三百一十回 百日痛苦
孫策、孫権、張昭、程普、黄蓋、韓当、朱治、孫堅
 大火に見舞われる洛陽に孫堅の姿が。

?「父上、父上…」
孫堅「そなたは…」

孫策「父上、策です」

孫堅「策?おお、私の息子は孫策だ」
   「忙しさにかまけて、あれとも久しく会っておらん」
   「黄巾が国を乱し、次いで董卓が政を乱し、諸侯らは誰もが野心を抱いている」
    漢室が危機に瀕しているというのに、道義も何も有ったものではない」
   「今もこうして洛陽が大火に見舞われている。
    そなた、もし私の息子を見つけたら、消火の手伝いに来るよう伝えてはくれぬか?」
孫策「父上!俺はここにいます!分からないのですか!?」

   「俺が…俺が孫策ですよ」
   「俺が孫策です、孫策ですよ!」
   「本当に…分からないのですか?」

孫堅「分からぬはずがなかろう?」
   「あの可愛い子は将来必ずや大物になる」
   「いつの日か、我ら親子は共に天下に名を馳せ、漢のため忠節を尽くすだろう」
   「だが……そなたは自分が私の息子だと言う……」

   「その薄汚れた面でよく言えたものだな!
    どう見ても奸臣ではないか!」

   「そんな愚かな息子を持った覚えは無いわ!」

孫策「違う!父上!それは誤解です!
    俺は本当に孫策です!孫策なんですよ!」

   「父上!」

 それは孫策の見た夢だった。重傷を負い家臣らに見守られる孫策。

孫策「父上!」
   「行ってはなりません!そちらは火が強い!
    どこへ行こうというのです!?」
   「父上!待ってくれ!」

   「父上!行かないでくれ!」

 暴れだす孫策。

黄蓋「伯符、落ち着け!それはただの夢だ!」
孫策「父上、父上ーッ!」

 医師が孫権に告げる。

医師「二公子、矢の毒があまりにも強く、取り除くのは無理でした。
    主公の両目は深くまで侵され…

    もう完全に失明しております」
   「目を摘出せねば毒が脳にまで至り、お命までも……」
孫策「父上!どこにいるんだ!?」
   「何も見えないんだ!煙が目に入って目が…

    目が痛いんだ!」
程普「伯符!傷口に触れてはならん!」
   「早く取り押さえるのだ!」
孫策「俺の目は、俺の目は…

    何も見えないんだ!」
   「そうか……やっと分かったぞ…」
程普「伯符!そなたの傷はまだ治っておらん!暴れてはいかん!」

孫権「兄さん、僕です…。仲謀、仲謀です」
孫策「嘘だッ!貴様は于吉だ!于吉に違いない!」
   「あの矢は貴様が射たんだろう!」

 絶句する孫権。

孫策「貴様らは誰だ!?放せ!」
   「この暗さだ、隠れていれば見つからないとでも思ったか!?」
   「見つけた!逃げても無駄だ!部屋の隅に一人、

    今は梁の上にいる!一人、二人…」
   「ああ!貴様の分身がどんどん増えてやがる!」
   「来いよ!この俺が貴様を恐れるとでも思ったか!皆殺しにしてやるよ!」
   「父上!見ておいでですか!」

   「策は今、黄巾の残党を誅殺しております!」
   「賊だけじゃない!奸臣も……」
   「俺が…漢に叛き、不義の諸侯を討伐したのも、ただ父上の仇に報いんがため!」
   「奴らは貴方を殺したんだ……貴方を……殺した……殺した……」
   「父上はもう死んだのか…父上が死んでもう何年も経つのか……」

   「父上……父上……」
   「策は…お会いしとうございます……貴方にお会いしとうございます!」

 その場から駆け去る孫権。

部将「二公子、どこへ行かれます!お戻りくだされ!」
張昭「追うな、行かせてやれ」
   「この三ヶ月間、あの子は本当に辛かったろう」
   「将来背負わねばならぬ千斤の重圧と向き合ってきたのだ」

   「十代の若者にどうして耐えられよう……」
孫権「兄さん…兄さん……」

   「ああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 寝ても覚めても、ただ涙があふれるばかり。
 何故だ?

「策兒…好想你、好想你啊!」

 直訳だとそのまんま「好きです」だと思うのですが、それだとイマイチなのでそれっぽく訳してみました。


第三百一十六回 幾許春秋
孫策、孫権、周瑜、黄蓋、太史慈、呂蒙、孫堅、于吉
 闇夜に紛れ城内に于吉が現れ、その周りに人だかりができている。

?「隠公元年春、王の正月」
  「三月、公、邾の儀父と蔑に盟す」
  「夏五月、鄭伯、段に鄢に克(か)つ」

  「秋七月、天王、宰咺をして来りて恵公・仲子の賵を帰(おく)らしむ」
  「九月、宋人と宿に盟す」
  「冬十有二月、祭伯、来る」
  「こう…公子益師、卒(しゅつ)す」

 声の主は呂蒙だった。
 彼は孫策の寝室で『春秋』を諳んじていた。


呂蒙「二年春、公、戎と潜に会す」
   「夏五月、賵人、向に入る」
   「無駭、師を師(ひきい)て極に入る」

 孫策の看病をする孫権。

   「秋八月庚辰、公、戎と唐に盟す」
   「九月、紀の裂繻、来りて女を逆(むか)う」
   「冬十月、伯姫、紀に帰(とつ)ぐ」
   「紀の子帛・賵子、密に盟す」

   「十有二月乙卯、夫人子氏、薨ず」
   「鄭人、衛を伐(う)つ」

 捕らわれた于吉は偽物だった。

黄蓋「またか?」
太史慈「今日だけで七人になりますな」
黄蓋「なおも神仙を騙り、人心を惑わすか…」
   「公瑾、我らとてそう長くは持ちこたえられんぞ……」

 場面が牢獄に移る。

周瑜「この数カ月」
   「貴方の手の者が民を煽動し続けたが、私はただの一人も殺しはしなかった」
   「一声いただくだけで良いのです……」
   「この周瑜、太平道が他国に領土を求めた際に、孫家は干渉しないと保証します」
   「これが和解の成否に繋がると分からないのですか?」
于吉「毒は骨の髄まで至っておる」

   「たとえワシに神通力があっても、主殿の命は救えんよ」
   「時も命も、全ては天命あるのみ」

周瑜「大仙は「蒼天已に死す」を信じておられぬと……」
于吉「それと「民を苦難から救う」という言葉に違いがあろうか」
   「すべて大言壮語に過ぎんよ」
   「天道がいかなるものか、どうしてワシが知り得よう」
   「天命が帰するところもそうだ。そこに富や権力との違いはあるのか?」

   「いわゆる"道"など、個人の欲望が先導しているに過ぎん」
   「ワシは信徒の叫びの中、迷っておるのだ……」
   「この手も元は病から人を救うためのものだった」
   「それもほどなくして人を殺すための凶器となり……」*1
   「民の怨みによって欲望の尖端へと研ぎ澄まされていった」

 于吉が牢の隙間から周瑜の顔に手をかざす。

   「孫策もこの指の一つなのだ」
   「我が手を見よ。さすれば気づくはず……」

 于吉の手をはねのける周瑜。

周瑜「……また来ます」
   「大仙が迷いの「網」から抜け出すことを期待しています」*2

 牢獄から立ち去る周瑜。

于吉「誤りといえど千古よりの規則、どうして独善なものか」*3
   「こんな気が狂いそうなところにいては、聖賢とて鬱で死んでしまうわ……」
偽于吉「大仙!」

于吉「もしや…迷いこそが道を探し求める力となるのかもしれんな」
   「蒼天よ、この于吉自ら」
   「そちらに出向いて教えを請うとしよう」

 自身の首を絞める于吉。

   「がはッ……」
   「痛みなど、痛みなど感じぬ」
   「痛みなど…」

   「少しも…少しも…感じぬ」
   「い…痛みなど…感じぬ」
   「がはッ……」

 偽の于吉らが拝礼する中、于吉は息絶えた。

呂蒙「六年春、許の僖公を葬る」
   「夏、季孫行父、陳に如(ゆ)く」

 看病に疲れ眠る孫権ら。

   「秋、季孫行父、晋に如(ゆ)く」
   「八月乙亥…晋侯……侯…」
孫策「それは春秋か?」

 意識が朦朧としつつも答える呂蒙。

呂蒙「ご安心ください主公。阿蒙は…勉学に励んでおります……もう昔の俺とは違います…」
孫策(春秋か……)

 孫権の頭を撫でる孫策。

   (幾許だろうか)
   (幾許の英傑たちが、幾許の大望を抱え……)
   (幾許の春秋が過ぎたのだろう……)*4

   (分かった)
   (真の意味で理解できた)

 周瑜が孫策の寝室にやってくると、そこに孫堅の姿があった。
 家臣らは孫策の寝台を囲み、泣いている者もいる。


周瑜(于吉……)
   (お前は…何を…・・・)
   (何を見せようと……)

 周瑜が目にしたのは平然と歩く孫策だった。
 包帯の下のその目は澄んでいた。
 腕を広げる孫堅、彼の下に駆け寄る孫策。
 父の腕に抱かれた孫策の姿は幼少の頃に戻っていた。


孫堅「公瑾」

   「刃こぼれはしても、その清らかさは変わらぬ」
   「疲れたのだろう」
   「眠らせてやろうではないか」

 建安五年、夏。孫策、夜に卒す。

*1 「時日曷喪、〜」

 訳せなかったんで省略しました。
 まあ意味的にはそんなに重要じゃないでしょう。多分。

*2 「盼大仙脱離迷「網」」

 「迷網」=「(網の目のように)惑い乱れること」らしいのですが、網にカギカッコが付いているので
 それは残すように訳すべきだろう、というわけで直訳になりました。
 網と牢獄をかけてるんだと思いますが、どうなんでしょう?

*3 「千載謬規、何以独善」

 正直、まったくもってイミフなのでそれっぽく訳しました。
 しかしそれでも前後の繋がりがイミフなことは変わらず。無念。

*4 「幾許啊幾許、幾許風流、幾許大夢……幾許春秋」

 この回の山場なのに不正確で申し訳ない。
 個人的な解釈では、孫策は世が諸行無常であること、そして自分自身も
 「時の大きな流れに浮かぶ塵芥の一つでしかない」ことを悟ったんじゃないかなと。


 この回の『春秋』の書き下し文は、以下の文献を参考にしています。
 『春秋左氏伝 (上)』小倉芳彦訳(岩波文庫)




inserted by FC2 system